韓国ソウル近郊・北韓山で紅葉狩り!扶皇寺跡までトレッキング

歳を重ねるにつけ、四季の変化を楽しみながら生活することは、とても有意義なことだと感じるようになった。

一年前、紅葉狩りに北韓山 扶皇寺(プファンサ)跡まで行ってきたが、車で行ったため、駐車場に入るまでの待機時間が長すぎたため、今年は電車とバスで行くことにした。

扶皇寺跡に何か特別なものがあるわけではなく、紅葉を楽しむためのトレッキングにはちょうど良い距離で、広い空間があるので、多くの人がここで軽食をとったりしながら休息するのである。

ちなみに、韓国では紅葉狩りを ‘단풍놀이(タンプンノリ)’ と呼ぶ。
’단풍(タンプン)=紅葉’、’놀이(ノリ)=遊び’なので、文字通り紅葉を眺めながら、自然の中で季節を味わう時間といった意味になるのだろうか..。

地下鉄3号線の旧把撥(구파발)駅の2番出口近くにバス乗り場があり、8772番バスで北漢山城入口まで行くのだが、2番出口を出たところに、日本でいうところの’たいやき’である’プンオパン’を売っていたので一つ食べた。

韓国のタイヤキ – プンオパン

日本のたいやきと違い、薄いかわと薄甘のあんこが入っていて日本のたいやきとは全く別物ではあるが、日本のたいやきが食べたいときは、これで代理満足にはなる。

ここで、一緒に行く人と合流し、山で食べるキンパプを近くのお店で購入しバスに乗車。

この日の乗車時間は20分ほどだっただろうか?

バスを降りてすぐに横断歩道を渡ると、”北韓山国立公園” の案内表示板があり、その道を登りと登山口にたどり着く。

 

バスを降りて登山口へ

頂上を目指すわけではないトレッキングとはいえ、34Lザックにはカメラや折りたたみ椅子、スティック、軽食にポカリ、着替えなどなど詰め込んである。登山靴は必須。

今回3人でのトレッキングなのだが、私を除く2人は毎週登山しているので、一年ぶりの私はついて行けるかちょっと心配だったものの、皆、写真撮影が好きなため、行く先々で記念撮影しながらだったので、幸いにも足を引っ張るといった状況にはならなかった。

 

巨大な石の家??

扶皇寺跡

こちらが扶皇寺跡ですが、調べてみたところ扶皇寺は李氏朝鮮 第19代国王の粛宗が、北漢山城を防衛するため僧兵に山城を守らせた寺院の一つで、1717年に僧・尋雲(심운)により創建されたとのこと。


扶皇寺跡 万歳楼の礎石

万歳楼の礎石?

再建のために仮設テント?

白雲台を背景に記念撮影

ここで軽食を取ったりしながら、帰途に..。

帰り道で再び中城門を通り..下山まではまだ結構ある。

本日、万歩計では約18,000歩で、そのほとんどは北韓山での歩行だった。

来年もまた来ます。

行き方)
地下鉄3号線の旧把撥(구파발)駅2番出口から8772番バスで北漢山城入口で下車。

【扶皇寺について】

朝鮮後期の1717年(粛宗43年)に僧・尋雲(심운)が創建した寺院で、日本統治時代には奉恩寺(봉은사)の末寺であった。粛宗は北漢山城を防衛するため、山城の内部に12の寺を新たに建て、僧兵に山城を守らせたが、扶皇寺(부황사)もその一つである。
創建当初は「扶旺寺(부왕사)プアンサ」と呼ばれていたが、その後、発音が似ている「浮皇寺(부황사)プファンサ」「扶皇寺(부황사)プファンサ」などの名でも呼ばれるようになり、現在の名称にいつ変わったのかは詳らかでない。
創建以後、甲午改革以前までは護国寺として命脈を保ってきたが、1939年9月には当時の住持・元法(원법)と化主・尚徳(상덕)が霊山殿(영산전)と別堂を新築した。1942年には李柱玉(이주옥)が寺の東側の麓に6間の道院を新築したが、6・25戦争(朝鮮戦争)の際にすべて破壊され、現在はほとんど廃墟となっている。

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